あないびと
六鹿晴美さん
一宮市から有松に嫁ぎ、独自の文化と歴史が光るこの町の魅力に心奪われ、自ら伝承したいとあないびとのメンバーに。つい見落としてしまいそうなところに隠された、有松ならではの物語を楽しく爽やかに語る案内は六鹿さんならでは。あないびと歴17年のベテランとして今日も有松ファンを増やし続けています。
「江戸情緒を感じる旧家の町並みを歩く」
あないびと:六鹿晴美さん
絞りの伝統と並び、歴史を物語る情緒あふれる町並みを見て歩くのも、有松散歩の大きな楽しみ。
今回のガイドは有松あないびとの会で活躍する六鹿晴美さん。 よく通る張りのある声と、底抜けに明るい笑顔が魅力の町の人気者です。 貴重な建物が建ち並ぶ中で、六鹿さんの一番の〝推し〟は「屋根」と「瓦」。 ぶらりと歩くだけでは気づかない隠れた見どころと、マニアでなくとも楽しめる注目スポットをたくさん紹介してくれました。令和元年5月、名古屋市で初めて日本遺産に認定された有松の町。400年もの間、大切に受け継がれてきた絞りの文化はもちろん、浮世絵さながらの景色が数多く残る町並みも、大きな価値として高く評価されています。
「さあ、今日の町歩きはここからお話しさせていだきますね。ここに立って四方を見渡すと、いろいろな時代の建物を一度に見ることができます。まずはこちらの建物とこの絵を見比べてみてくださーい!」
東海道の辻に立ち、元気いっぱい六鹿さんが手に掲げたのは、歌川広重の錦絵『有松絞 竹谷佐兵衛店先』。目の前に建つ格子窓の建物は、広重の絵に比べて間口の広さは半分ほどになっているものの、その面影をはっきりと見てとることができます。
「錦絵にも描かれているとおり、この建物は江戸時代に建てられたもの。西を向くと見える寿限無茶屋さん、いまはおうどん屋さんですが、あの建物は明治時代に建てられました。さらに手前の安田商店さんは大正時代。お向かいの橋爪合資会社さんが昭和初期の建物になります。それぞれに時代を象徴する特徴があるんですよ。」
どれも歴史を感じる趣ある建物たち。よく見ると、江戸から昭和にかけて時代を追うごとに二階の部分が高くなっているのがわかります。
「江戸時代には東海道を大名行列が行き交いました。お大名様を高いところから見下ろしてはいけないということで、当時は家の高さが制限されていたためだと言われています。」
西へ歩き、「服部家住宅」へ。寛政2年(1790)創業の絞り商で、建物は愛知県の有形文化財に指定されています。広い敷地には母屋、蔵、書院座敷などが建ち並び、塗籠造り、虫籠窓、なまこ壁、連子格子といった有松の町屋建築の特徴のすべてが見られます。敷地の間口は有松で最大とも。
「母屋の屋根を見てください。小さな屋根が二つありますね。あれが『卯建(うだつ)』です。卯建は本来、延焼を食い止めるため、つまり防火の目的で設置されるものですが、それ以上に権力や財力の象徴という意味合いが大きかったと言われています。」
かつて有松には、卯建のある家が数十軒あったそうですが、天災や火災などでほとんどが消え、現在は服部家住宅と西町の小塚家住宅の二軒を残すのみとなりました。
1784年の大火災によって、町のほとんどを焼失した有松。それをきっかけに茅葺屋根は瓦屋根に替えられました。古い建築物にもかかわらず瓦屋根の家が多いのはそのため。壁にも漆喰など燃えにくい材質を用いるなど、火災に強いまちへと生まれ変わりました。
「それぞれの家の瓦には、水という文字や水しぶき、水玉模様、渦潮模様など、水にまつわるものがたくさん使われているのがわかります。二度と火災に遭わないようにという人々の願いが込められているんですね。さて、それではこちらを見てください。この字は何と読むかわかりますか?」
六鹿さんが手にしているのは、見慣れない「懸魚」という文字。
「鬼瓦の下の部分に付いているもので、これも防火の願いを込めて付けられたお魚の飾りです。懸ける魚と書いて『げぎょ』と読みます。神社やお寺などにはよく見られますが、有松では住宅の屋根にも取り付けられているんですよ。」
六鹿さんの案内に目と耳を傾けつつ、東海道沿いをさらに西へ。
「有松のまちは東海道沿いに東町、中町、西町に分かれています。天保時代の村絵図にも描かれているように、かつて町のほぼ中心には川が流れていて、そのあたりから有松の町ができていきました。いまは中川橋という石柱だけが残り、川は暗渠になっていますが、この川を境に、町は往還と橋東に区分されていました。いくつもの小路が残っているのも有松の特徴です。この川沿いの道は、絞り商・山田与吉郎さんに因み『山与遊歩道』と名付けられています。」
街道に沿って歩きながら時々目に留まるのは、古い建物の軒下や入り口横の柱に取り付けられている鉄製のリング状の金具。これは「駒留め」といい、昔、街道を旅する人々が連れていた馬をつないでおくために使われていたもの。高い位置は馬用。地面に近い低い場所に付いているものもあり、こちらは牛のための留め具だそうです。
有松に息づく古き良きものの価値を大切に守り続ける人々がいる一方で、その魅力を日本全国に、また世界に向け広く発信しながら町に新しい風を吹き込む頼もしい人たちの存在も。
東海道沿いに建つ築100年の古民家を改装し、ゲストハウスを営む大島さん夫妻は、宿と食を通じて、有松の素晴らしさを訪れる人たちに伝えています。
以前はともにアパレルメーカーで働いていたというご主人の一浩さんと妻の美穂子さん。5年余り前、一浩さんの生まれ故郷である有松に戻り、夫婦でゲストハウスMADOを始めました。
「あないびとさんのように上手にご説明はできませんが(笑)、お泊まりに来てくださったり、食事に来てくださるお客様に有松のことをお話しさせていただいています。」
ゲストハウスに泊まろうと事前に予約するお客様の多くは、有松の町のことを知らず、MADOさんの情報だけを見て訪れるそう。実際に町を訪れ、そこで目にする町並みや絞りの文化に新鮮な驚きを感じるようです。
「浮世絵などをお見せすると、そこに描かれているとおりの風景が残っていることに興味を感じられるようですね。僕自身、この町で生まれ育ちましたが、子供の頃はその価値に気づくことはありませんでした。古いなあ、新しい方がかっこいいのにと思うだけで(笑)。それが今では町の外の人たちに向けてその良さを伝えることを仕事にしているのが不思議。古いものの魅力は若い人にもちゃんと伝わります。座敷に座って、ただ外の町並みを眺めているだけで『ここはいいですね』と言ってくださったり。逆に僕らがお客さんに教えていただいているような気さえするんです。」
有松は小さな町。じっくり滞在する人は少ないと大島さん。せっかく来てくださるのに泊まるだけでは残念と、女将の美穂子さんとともにお客様に有松の良さを感じてもらえるよう、アイデアを次々に形にしています。
「昼間、工房で絞り体験を楽しんでいただいて、完成した手ぬぐいをチェックアウトまでの間にパジャマやタオルの入ったお泊まり用の布製のバッグにパッチワーク。お土産にお持ち帰りいただくというサービスを始めようと思っています。ゆっくり滞在して楽しんでいただきたいので、何か町の中で体験できることと宿泊をセットにしたサービスがあればと思って。」
有松での思い出にひと味を添える、美穂子さんの心づくしの手料理も旅人や食事のお客様たちに大好評。
「江戸時代の食事を見直してみるとすごくエコだなって感心します。昔ながらの発酵食なども取り入れて、出来る限り無駄にしない気持ちとともに手作りにこだわってお出ししています。絞りに象徴されるように、昔からの知恵を何百年と紡いできた町だからこそ、そういう時間の流れのようなものもお客様と共有できたらいいなって。」
「MADOさんの斜向かいが竹田家です。最初に有松の町に移住した8人のうちの一人で、絞りの開祖とも言われる竹田庄九郎さんの一族のお屋敷で、丸瓦に笹の文字が入っているのがわかりますね。屋号は『笹加』と言います。名古屋市の有形文化財にも指定されている建築学的にも貴重な建物なんですよ。」
竹田庄九郎家の分家として江戸時代に建てられた竹田嘉兵衛商店。主屋は明治から大正期にかけて大改修が行われました。広い間口と奥行き80mもの豪壮な屋敷構えからも、有松を代表する絞り商として相当な規模と勢いを誇っていたことがわかります。
14代将軍徳川家茂も訪れたという茶室「栽松庵」や、土蔵群、書院座敷、得意客や上客のための出入りに使われた腕木門などが現存し、江戸期から明治にかけての建築様式が往時の面影を今に伝えています。
「屋根を見ながら町を歩いていると、立派な鬼瓦のあるお屋敷がたくさんあることにも気づきます。一方、そのお向かいのお家はと言うと、鬼に睨みつけられてしまいますよね。昔は鬼に睨まれたお家の人は病気になってしまうと言われていたそうで、厄除に、お向かいの家の屋根には『鍾馗さま』を置くという風習がありました。有松ではその習わしがいまでも受け継がれていて、よく見るといろいろなお家の屋根に鍾馗さまを見つけることができますよ。」
竹田嘉兵衛商店からさらに西へ歩を進めると、街道が緩やかにカーブする町並みが目に入ってきます。その景色に六鹿さんが取り出した一枚の浮世絵を重ね合わせてみると・・・。
「これは広重の描いた有名な浮世絵『東海道五十三次 鳴海宿』。有松は宿場ではなかったので題名は鳴海とされていますが、道がカーブしている感じや絵の中にある建物の特徴から、おそらくこのあたりを描いたものではないかと言われています。」
西町の端に近い一角に建つ、ひときわ大きく立派な建物は、小田切春江の錦絵『有松絞店 丸屋丈助店先』の名で描かれている「岡家住宅」。江戸時代から昭和初期まで続いた絞問屋で、母屋の間口は有松の伝統的建造物の中でも最大級。昔は街道沿いに店の構えを大きく開放し、道ゆく旅人たちを相手に盛大に商っていたと言います。
切妻・平入の屋根に、壁と軒裏を漆喰で塗り固める「塗籠造」、縦に格子がはめられた「虫籠窓」。
特に釜場の壁や柱、梁にまでもが土壁で塗り籠められ波状になっている様子は、今では岡家住宅でしか見ることができない珍しいもの。母屋は江戸末期に建てられたといわれ、これまで改修の機会も少なかったため、有松の絞り商の特徴的な意匠を数多く残す貴重な文化財として大切に守られています。今後はさらに建物の整備を進め、庭や蔵の見学もできるよう計画中とのこと。有松の歴史や伝統を学ぶ町並み巡りでは見逃すことのできないスポットです。
「土曜日と日曜日は一般開放していますので、どなたでも無料で見学していただくことができます。私たちあないびとが交代でご案内しますので、ぜひ立ち寄ってみてくださいね!」
東海道沿いに立つ燈籠は「有松天満社」へ向かう参道の入り口。
江戸末期、祇園寺にあった祠を北側の山に移し、社殿を建てたのが始まりと言われる有松の人々の氏神さまで、学問の神様、菅原道真公が祀られています。
「お社はこの先の小高い山を北に向かってずーっと登って行った上にあります。長く急な階段は結構しんどいですけど、頑張って登ってみましょう!」
天満社の境内では、毎年10月の第一日曜日に秋季大祭が行われます。町ごとに意匠を凝らした絞り染めの装束に身を包んだ祭り衆たちによる、山車の曳き回しとからくり人形の競演は祭りの最大の見せ場。
「太鼓のリズムに合わせて山車の楫方(かじかた)さんや囃子方さん、人形方さんたちが『わっしょいわっしょい』という掛け声とともにこの階段を一気に駆け上がってくるんです。そこからさらに広場を3周。相当きついでしょうね。でも間近で見ているとすごい迫力ですよ!」
秋季大祭でお披露目される山車は「東町」「中町」「西町」、三つの町でそれぞれに保存されています。今回はそのうち「東町」の山車をご紹介。
有松山車会館館長の濱島正継さんにうかがいました。
「東町の山車は『布袋車』といい、名古屋に残る山車の中では最古のものの一つです。もともとは名古屋市中区の若宮八幡社の祭礼で使われていたものを明治24年に譲り受けました。少なくとも340年ほど前の祭礼に出ていたという記録がありますので、さらにそれ以前に作られたものでしょう。」
豪華な刺繍の大幕と水引幕に彩られた山車には、文字書き人形、唐子・布袋人形、陣笠を被った麾振り(ざいふり)童子の4体が乗っています。
「人形は山車より少し新しく、それでも230年ほど前のもの。玉屋庄兵衛さんの2代目が作られたもので、『玉屋』の名が入った山車からくりの中ではおそらく日本で一番古いものです。山車そのものの評価が高いのは、作られた時のままほぼ手が加えられていないから。塗装を直したり、人形の衣装を新調したりということはありますが、基本的な作りの部分は当時のままなんですよ。有松は絞りのおかげで財政が豊かでしたから、お金をかけて大切に保存することができたんですね。さらに幸運にも戦災にも免れたことで、このように残すことができています。」
絞りの開祖・竹田庄九郎の流れを汲む竹田嘉兵衛商店に生まれ育ち、現在もその建物と文化を守り続ける当代・竹田嘉兵衛さんと、NPO法人コンソーシアム有松の理事長として活躍する妹の中村俶子さん。生前、有松の町並み保存に尽力した父の想いを受け継ぎ、日本遺産の認定に際して仲間とともに力を注ぎました。
「初めは我々もまさか日本遺産なんてという気持ちでした。しかし、有松まちづくりの会の服部豊さんと藤枝静次さんの大変なご努力と最終的には名古屋市さんにもご協力をいただき、なんとか認定に至りました。有松はその二年ほど前に重伝建に選定されていたことも良かったのですね。重伝建というのは主にハードとしての価値を評価されるものですが、日本遺産ではそれを生かしつつ、同時に文化を育んでいること、つまりソフトの部分が重要視されるんです。そのどちらをも評価していただけたことが大変嬉しいですね。」と嘉兵衛さん。
おなじく、俶子さんにとってもその喜びはひとしおのようです。
「有松の魅力は、町並みと伝統工芸、そして祭り。この三つが基本です。さらに私が、おそらくここにしか無いのではないかと思う一番の価値は、町の人たちの誰もが心から『有松大好き!』とおっしゃることなんです。絞りも町並みも、実は私たちにとっては特別ではない当たり前のこととして大切にしてきました。観光地として注目されるのさえ意外なことなんです。ところが、外から見ても間違いなく素晴らしい価値を持つ町だと認めていただいたことで、自分たちの意識にも変化があったんですね。改めて誇りを感じ、魅力を再認識できたことが何より嬉しいです。」
俶子さんは2017年、竹田家のはなれだった庄九郎邸をリノベーションし、カフェをオープン。
有松を訪れる人にゆっくりくつろいでもらえる場所があればという、長年の想いを形にした「庄九郎カフェ」で、毎日、溌剌とお客様をおもてなししています。
「おかげでいろいろなお客様との出会いにも恵まれています。そういう出会いが嬉しいですね。絞りの着物だって誰かが着てくださり、人の目に触れることで美しく輝きます。それと同じく、町も人が来て愛でてくださってこそ繁栄するものだと思うんです。」
有松の歴史薫る町並みと伝統の技は、いくつもの時代の流れの中で常に人々の誇りと情熱によって守り支えられてきました。そんな町の魅力向上と文化の伝承のために力を注ぐ、あないびとさんたちの想いのこもった町案内が、旅に彩りを添えてくれました。季節ごとに味わいも変わる有松ぶらり旅、おすすめですよ。
あないびと
六鹿晴美さん
一宮市から有松に嫁ぎ、独自の文化と歴史が光るこの町の魅力に心奪われ、自ら伝承したいとあないびとのメンバーに。つい見落としてしまいそうなところに隠された、有松ならではの物語を楽しく爽やかに語る案内は六鹿さんならでは。あないびと歴17年のベテランとして今日も有松ファンを増やし続けています。